『パイレーツ・オブ・カリビアン/最後の海賊』上海プレミア・レポートその1

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13年前、本サイト「プレミアポート」全身の「yumi’s world premiere REPORT」(いま見ると恥ずかしい)が立ち上げられた時から読んでくださっているような稀有な読者の方は、きっと管理人である筆者が「オーランド・ブルーム」という俳優に入れ込んでいることを少なからずご存じだろう。

「『パイレーツ・オブ・カリビアン/最後の海賊』に、オーランド・ブルームが復活するらしい」と聞いた時、私は打ちのめされていた。「世界の王子」と呼ばれたオーランドは、今や離婚経験を持つ一児の父親となり、日本で真っ当に公開される規模の映画にも、ほとんどパッタリと出なくなっていた。

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ハマりやすい人間の辿る人生の末路

誰かに対して「こうであって欲しい」という思いを抱くのはこちらの勝手な思い入れであって、ほとんとの場合、何も生み出さない。現実の人間関係においても、「〇〇はこうでなきゃ」「こんなことするなんて〇〇らしくない」などという考えはトラブルのもとだ。そんなものはあくまで個人の願望であって、誰もが自分の人生を、生きたいように生きている。

それでも私はオーランド・ブルームに輝いていて欲しかった。

悶々とした日々は数年に及んだ。私はこれまでの人生を、オーランドのために生きてしまっていた。これがハマりやすい人間の辿る人生の末路だ。彼が輝かなくなった今、何を指針に生きていけば良い?

輝かなくなったならまだしも、全世界に全裸を晒すほどのスキャンダラス俳優へと歩みを進めているオーランド。元彼女のケイト・ボスワースは映画監督の夫とラブラブぶりを発信しながらコンスタントに映画出演を続けるオシャレ女優としての立場を確立し、元妻のミランダ・カーはスナップ・チャットの創始者である年下大富豪とゴールインした。彼といえば、永遠のパーティー・ボーイ、レオナルド・ディカプリオとつるんで謎のダンス動画を撮られたり、19歳年下のバー店員とワンナイト・ラブ報道といった調子である。

人生時計は止まっていた。オーランドは一方的に私に夢と希望という薬物を投与して錯乱させ、本来の自分へと戻っていった。

私はオーランドに会えるたびに何度も「今なら死んでも良い」と思い、そして生き長らえてきた。生き長らえてしまったことで、オーランドの理想的な活躍がなければ何のために生きればよいのかもわからない、ゾンビのような人間になってしまったのだ。

オーランド以上にハマれるものが無い

最後の気力を振り絞って、オーランド以上に心奪われるものを探すことにした。けれど、そんなものは簡単に見つからなかった。

ハマりたいと思って何かにハマれるなら、そんなに楽なことはない。

毎日、何のために生きればよいのかもわからない無力感に苛まれながら、ある日コンビニで目に入ったローリング・ストーンズ誌を手にとった。

伝説の俳優・松田優作は、役作りのために肋骨を抜こうとしたらしい。そんな記述を見た瞬間に「私にはそんなことできない」と、なぜかとても落ち込んだ。

「私はオーランドが好きと言いながら、肋骨を抜けと言われたら抜くことすらできないんだ」と、ひどく落ち込んだのだ。

何もかも懸けたつもりでいながら、私はどこかで自分を守っていたのではないのか?私は「本当に好きなら肋骨くらい抜けるはずだ」と自分を責めた。

ひたすらに自分を責める日々が続いた。どの瞬間においても、自分を心の底から肯定できない数年間だった。手元に残るオーランドのサインと写真を見て、その瞬間は「この思い出だけでずっと生きていける」と思っていた感覚が蘇る。

けれど実際は生きていけない。サインから、老後まで生きていけるお金は湧いてこない。目の前に写真があっても「また会いたい」という思いが増すだけで元気にもなれなかった。

大好きな映画のひとつであるディズニーの実写版『シンデレラ』の主人公・エラは「王子との美しい思い出で生きていけるということがわかっていたのです」というナレーションをバックに、ほほ笑みながら歌っていたけれど、私はそんな高潔な精神にもなれなかった。

きっと、原作『シンデレラ』の姉たちのように、かかとを切り落としてでもガラスの靴を履こうとし、最終的に目をくり抜かれて失明するのが、私の人生なのだ。

肋骨も抜けず、思い出で生き延びることもできない。人生は続いていく。私はこれまで自分の将来設計を、オーランドに会うところまでしか考えてこなかったことに薄々気付き始めていた。

願っても実現しないこともある

そうか。これが「人生」なのか。

サインをもらったり、会えてハッピーエンドではなく、「もう死んでもいい」と思っても、そこからまた日々は続くのだ。

本当に、私の人生はこれで終わってしまうのだろうか。

毎日そう思っていた。映画やドラマなら、この台詞の後に、何かが起きる。

けれど、現実には何も起きない。

信じても叶わないことがある。願っても実現しないことがある。オーランドは結婚や離婚を経て子持ちになり、一向に全世界公開となるような映画には出演しない。

オーリーに会いたい。

心は死にかけていた。私は何度も死にかけた心を、完全に殺そうとした。もうこれ以上、願いが叶わずに悲しむのは苦しい。「夢は叶わない」と思った方が、楽なのだ。もう私の好きだったオーリーは消えた、と思うしかない。

大人になりたかった。

けれど、ずっと、信じることをやめることができない自分もいた。「信じても叶わないことがあるけれど、信じて叶ったこともあるじゃないか。願っても実現しないことがあるけれど、願ったから実現したこともあるじゃないか」と、その自分が叫んでいた。

「どちらの道を選んで大人になるんだ?」と、試され続けているような気がした。

どうやって生きていくのか

そして、私はある考えに辿り着いた。

もうこれ以上、悲しむのも苦しむのも嫌だから、願うことなどやめるのか。

それとも、悲しくても苦しくても、非難されても、バカにされても、人生には願っても叶わないことがあると知っていても、どんなに打ちのめされても、いつかその願いが叶わずに死ぬことになったとしても、それでも何かを夢見て、いつかその願いが叶うことを信じて生きるのか・・・。

私の願いは「もう1度オーランドに会いたい」ということだった。

シンプルな答えに辿り着いた。私はオーランドに会いたい。15年間、ただこの1つの願いしか持っていない。とにかく、オーランドがまた何かの映画に出てくれると願うしかない。全裸俳優と呼ばれようとも、全裸すらも肯定するのだ。愛とは何もかもを受け入れることだ。

これは挑戦なのだ。オーランドが謎の踊りを繰り広げようと、何人の女性と寝ようと、どれだけ全裸になろうとファンでいられるのかどうかの挑戦なのだ。私の一途力が試されている。ここで人生トラップにハマるほど私は軟弱では無い!

私は解脱した(気になった)。

すると、とある情報が舞い込んで来たのだ。

「オーランド・ブルームが『パイレーツ・オブ・カリビアン』に再び出演決定」

大変なことになってしまった。

【その2へ続く】

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